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「博士の愛した数式」 小川洋子 著

「僕の記憶は80分しかもたない」 
 
主人公は64歳の数学博士。
交通事故の後遺症で、記憶を80分しかとどめておけなくなってしまっている。
そこに派遣されて来た年若い家政婦。
そして、ひょんなことから博士の家に出入りするようになった家政婦の息子。
この3人の間に起こる、ささやかなエピソードの積み重ねによって、物語は進んで行く。
物語を彩るのは、博士の愛する数式と江夏豊。
私にとっては無愛想で意地悪な奴らでしかなかった数式が、なんだか神秘的な魅力をたたえてそこに在る。
かといって、今さらお近付きになろうとは思わないけど、誤解していてゴメンよ。
野球もあんまり詳しくないが、打率とか防御率とか、そういえば野球って数字が絡むスポーツだったね。
 
 
80分ごとに記憶が吹っ飛ぶというだけでも扱いに苦労するというのに、この博士、かなりの変人でもある。
ことあるごとに数式を持ちだし、ウンチクをたれる。
生活全てに独自のルールのようなものがあって、それを崩すのを許さない。
人ごみに出るのを嫌うが、べつに人嫌い、というワケではなさそうだ。
ことに、子供は大好きで、無条件で守るべき存在だと思い込んでいるようである。
どちらかというと、博士の方が子供みたいな人だと思うんだが。
まぁ、そういうわけで、これまでもたくさんの家政婦が送り込まれたけれど、誰も長続きしなかった。

ところが、この『私』は違った。
博士との間に、奇妙な関係を作り上げていく。
恋愛ではないし、友情とも少し違う気がする。家族でもないし・・・
よく分からないけど、温かくて、強い絆。
博士の方は毎回リセットされてしまうのだから、本当は『強い』とは言えないのかもしれない。
それでも、毎回ちゃんと絆を結べるのだから、やっぱり強いのだと私は思う。

少なくとも、
繰り返し絆を結びたい。
このまま忘れられたままにはしておきたくない。
そう思わせるだけの魅力を、この博士は持っている。

息子のルートの存在も大きかったのだろう。
博士のルートに対する愛情の傾け方は、驚くばかりだ。

もしかしたら、『私』にもルートにも父親が居ないということが、この奇妙な関係を作り上げることが出来た理由のひとつかもしれない。
ルートを愛おしむ博士を見ている『私』の視点は、孫を溺愛する父親を見る娘の目線と一致する。
小説の中には、そんなことは一言も書かれていなかったけれど、私はなんとなくそう思った。
 
 
人間は『記憶』の上に成り立つものだと思っていた。
だから、記憶が保てないということは、さぞかし不毛で恐ろしいことだろうと思っていた。
でも、それは間違いだったようだ。
少しずつ違う日常があって、楽しかったり、嬉しかったり、狼狽したり、悲しんだり、そういった記憶のすべてを博士は次の日に持ち越すことが出来ない。
記憶に留まらないからといって、それは無駄なのか?
そんなことはない。
その時、その時の博士の想いは、本物だから。

博士はとても静かな世界に暮らしていて、それは存外幸せそうに見えた。
 
 
小川洋子さんの作品を読んだのは、今回が初めてだった。
なんて奇麗な日本語を書く人なんだろうと思った。
いつもガサツな文章ばっかり書いてる自分が、恥ずかしくなった。
まぁ、比べること自体間違ってるんだけど。
全編を覆う優しい雰囲気は、この文章だからこそ表現できたのだろう。
この人の文章がいつもこんな感じなのか、他の作品も読んでみたいと思う。
 
  
 
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