カテゴリー「書籍・雑誌」の53件の記事

2009.09.19

これかもしれない?!

相方くんが、こんな本を買って来た。

「慢性疲労は首で治せる」 松井孝嘉 著

検査しても原因の分からない身体の不調の原因は、首の筋肉の異常にある
・・・というのが、本書の主張。
「自律神経失調症」とか「軽うつ」とか「更年期障害」とか診断されているもののうちには、原因が首にあるものが多く含まれているというのだ。

全30問の問診票に書かれた症状のうち、アタシは20個以上が当てはまった。
「重症」の域に達している。

首の異常を来す原因の最たるものは、パソコンのモニターを見る時の姿勢だと言う。
デスクトップ型よりも、モニターの位置が低くなりがちなノート型の方が特に良くないと書かれている。
アタシは、数年来、ノート型パソコンを使用している。

さらに、「ゲーム首」などという単語まで飛び出して来た。
携帯ゲーム機をプレイしている時の姿勢が、首にとっては最悪だと本書では訴えている。
確かに、アタシは携帯ゲーム機を触ると具合悪くなる。

う〜むむむ・・・あまりにも当てはまり過ぎている。
これ・・・なのかなぁ?

ただ、アタシの場合、骨の異常がMRIでバッチリ写っちゃってるからなぁ。
牽引の効果も、多少なりとも出て来ているし。
だから、自分の今の症状が100%本書の言う「脛性神経筋症候群」だとするのは危険だけど、あまりにも符合することが多くて、ちょっとビックリした。
 

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2009.08.04

「ダウン・ツ・ヘヴン」 森 博嗣 著

「スカイクロラ」シリーズ第三弾。
前作「ナ・バ・テア」でティーチャが去ってしまった後のクサナギの物語。

ショーとしての「戦争」を演じるために生み出された、キルドレ。
「空にしか居場所が無い」と感じているキルドレのクサナギが、負傷によって飛べなくなる。
さらに、クサナギを実戦から遠ざけようとする動きもある。
自分の居場所が無くなるという恐れが、クサナギの心を不安定にする。
クサナギは「子供」なので、「大人の事情」などは理解できない。
ただ、永遠の子供であるキルドレも、少しずつ変わって行くようだ。
クサナギは、少しだけ大人になった。

このシリーズではお約束の完全一人称視点。
それでなくても一人称が「僕」でややこしいのに、語り手であるクサナギにとって当たり前のことは一切説明されないので、いきなりこの本を手に取った読者は困惑するだろう。

終盤の戦闘シーンが凄い。
短い文書がダダダっと連なって、まるで本当にクサナギと一緒に空に上がっているかのようなスピード感で、息が詰まる。
クサナギが雲の上に飛び出した時、自分にも青い空が見えたような気がした。

このシリーズを読むと、無性に空を飛びたくなる。
もちろん、私は自分が飛べないことを知っている。
仕方ないから、ゲームの疑似体験で飛んだ気になる。
私がフライトシューティングゲームを好むのは、「空を飛びたい」と思っていた子供の頃の想いが、まだどこかに残っているからなのかもしれない。

その他のスカイクロラシリーズの感想は、こちらのインデックスからどうぞ。

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2009.07.27

「精霊の守り人」 上橋 菜穂子 著

アニメを見て、すっかりバルサ姉さんに惚れ込み、「いつか読まなくては!」と思っていた原作を読了。

「精霊の守り人」は主人公の女用心棒バルサ(三十路・未婚)が、ひょんなことから精霊の卵を宿した皇子チャグム(健気で賢い十一歳)を託され、彼を守るために悪戦苦闘するオハナシ。
元は児童文学として発表された作品だけれど、文庫化にあたって完全に大人向けの表記に変更されているのだそうだ。(ただし、内容は一切手を加えられていない)
 
 
架空の世界の冒険物語。
精霊だの化け物だの呪術だの星読みだの、果てはけったいなパラレルワールド(!?)
ファンタジー的要素が満載だ。
ハラハラドキドキの展開で読者を翻弄しているだけで、けっきょく最後はめでたしめでたしで、大した中身なんか無いんじゃないか・・・
などと思ったら大間違い。
固有名詞は覚えづらくて、なんか面倒くさいから・・・
などと敬遠するのも大損。

ご存知の方も多いと思うが、著者の上橋菜穂子さんは文化人類学の学者さんでもある。
さすが・・・と、言うべきだろうか。
この物語を書くにあたって、話の筋よりもキャラよりも、まず、「世界」を作るところから始めたのではなかろうか?
そんな気がしてくる徹底ぶりで、「世界」をしっかりと作り上げている。

気候風土。
歴史と伝承。
チャグムの国である新ヨゴ皇国の成り立ちと、現在そこに生きる人々・・・皇族とそれを支える者たちや、下々の民の暮らしぶり
ひっそりと昔ながらの暮らしを守る先住民族
過酷な自然環境にあるバルサの故郷
隅々まで抜かり無く気を配ってキッチリと構築された土台の上に、バルサたちは立っているのだ。

そして、その架空の世界に生きている彼らは、やっぱり私たちと同じ人間で、同じように食ったり寝たりするし、怪我すれば痛いし、怒ったり悩んだり迷ったりする。

この「精霊の守り人」には、一つの世界とそこに生きる人たちの姿が、しっかりと描かれている。
これを、子供だけに読ませておくなんて、もったいない。
いや、むしろ、大人が読んでこそ本当の面白みが分かるのではないだろうか。

理不尽な運命を背負わされて生きなければならない者の怒りや、バルサとタンダの微妙な関係などを理解するのは・・・難しすぎるだろう、子供には。
 
 
アニメの方を先に見てしまっていた私は、読みながら幾度と無く「あらあら、あの場面、無いんだ!?」と、驚いた。

アニメは、小説には無いエピソードがふんだんに盛り込まれていたようだ。
普通、そういうことをすると、たいてい失敗して原作ファンの怒りを買うものだけど、この作品に関しては違うと思う。

皇子のチャグムが徐々に「普通の男の子」になっていく過程や、精神的にどんどん強くなっていく、その変化は、アニメの方が丁寧に描かれていた。
だから、チャグムのバルサへの信頼も、そんなチャグムを愛おしく思うようになるバルサの心の変化も、すんなり理解できたけれど、原作では少し唐突な感じがした。

精霊の守り人としての役目を終えたチャグムが、このままバルサたちと共に暮らすことを望みながらも、今度は皇太子としての役目を全うするため王宮に戻ることを選択する、その決意も、アニメで感じたほどの重みは感じられず、いささかもの足りなかった。

原作しか知らない人は、ぜひ、アニメも見ていただきたいと思う。
決して原作のイメージを壊さず深化させることに成功した、(大人の視聴に耐えうる)見事な出来映えだと私は思うので。

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2009.07.24

「終末のフール」 伊坂幸太郎 著

あと数年で世界が滅んでしまうとしたら、その日まで、どうやって過ごすだろう?

この物語は、「あと8年で地球が滅亡する」と宣言されてから5年後(つまり、滅亡まであと3年)、最初のパニックを生き延びた人たちの日常を描いている。

そう、彼らにとっては日常なのだ。

3年後に、間違いなく人生の終わりが来ることを知っていても、まだ終わった訳ではない。
それまでの日々を、生きなければならない。
その時を待たずに、絶望して自らの命を絶つ者も、自棄になって狼藉を働く輩の犠牲になって命を落とす者も居るが、多くの人たちは日々の暮らしを続けている。
滅亡宣言直後の大混乱期を経て、奇妙な小康状態にある世界で、細々と、淡々と、かろうじてバランスを保っている。
カウントダウンが始まる前とはすっかり形を変えてしまっていたとしても、今ではそれが彼らの日常だ。

だいたい「残り8年」というのは、中途半端な長さだと思う。
あと何十年も生きるつもりで居たのに、突然そんなことを言われたら愕然とするだろう。
かといって、自棄になってお仕舞いにするには、いささかもったいない長さだ(その気になったら何か一つくらいはやり遂げられそうだ)し、絶望したまま暮らすにも長過ぎる。
最初のパニック期間を生き延びられたら、「じゃぁ、その時が来るまでにあれをやっとこう!」と、アタシなら思うだろう、たぶん。
自己満足で上等だ。
「どうせ滅んじゃうんだから何やっても無意味」とか思わないタイプなのだ、アタシは。
 
 
「あと数年で世界が滅ぶ」という大前提が一貫して存在し、後ろに行くほど時系列的にも後のエピソードになっているので、短編集という感じはあまり無い。

8編の物語は全てタイトルが「××の○ール」と韻を踏んでいて、それぞれ異なる主人公が登場し、それぞれの物語が他の物語と少しずつ重なっている。
まぁ、伊坂作品ではよくある構造で、物語の舞台となっているのも、おなじみの仙台だ。
市の中心部を見下ろす高台にある大型マンションに住む人たちが、概ね、その主役を務める。
良くも悪くも、ごくごく一般的な市民。

ハリウッド映画みたいに、すごいマッチョなおっさんとか、天才的な学者なんかが出て来て、地球滅亡を回避すべく大活躍したりすることは無い。

ひとときの平穏を取り戻した小さな街で、今日を生き延びているだけの平凡な人たち。

ただ、ふと、「残り数年の人生」であるが故の悩みが、葛藤が、苦しみが、彼らを襲う。
それでも彼らは、顔を上げて前へ進もうとする。
自分なりの答えを見つけて、自分なりに決着をつけようとする。
そんな彼らの姿に、私は幾度となく心揺さぶられた。

特に最後の一遍「深海のポール」は、かなりヤバかった。
ここで主役を務めるレンタルビデオ屋の店主は、他のエピソードにもマメに顔を出している。
彼の父親が、最後の日にその有様を誰よりも高い場所で見るために、マンションの屋上に櫓を建設中であることは、そこかしこで噂になっている。
この親子が、物語の繋ぎ役になっているのだろう。

そして、全ての物語がここに集約される。

それまでに登場した住人たちが、まるで申し合わせたかのようにベランダに姿を現し、それぞれが大切な人とともに空を見上げる。

彼らは、その瞬間まで、何時もどおりに生きて行くのだろう。
朝起きて、食事をし、仕事をしたり、しなかったり、やりたいことをやったり、やらなければいけないことをやったり、あるいは何もやらなかったり・・・
なんていうことの無い日々を、最後まで積み重ねて行く。
それが彼らの見つけた答え、「生きる」ということなのだろう。
 
 
当ブログ内、その他の伊坂作品の感想は、こちらのインデックスからどうぞ。

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2009.05.13

こんな本を買ってみた。

タイトルはそのまんま「仏像の本」

ぜんぜん知らなかったのだが、最近、仏像ブームらしい。

「少し仏像のことを勉強してみようかしら?」と思い本屋さんに行ってみたら、仏像について解説した本が何種類も平積みになっていた。
超初心者向けのものから、かなり専門的なものまで・・・

はぁ・・・そうか、ブームだったのか。
「仏像萌え」とか言ってるのは自分だけかと思ってたわ。

まぁ、そのおかげで、こういった本が簡単に手に入るから助かる。

数ある仏像関連本のなかで、これは最も初心者向けではないかと思う。
仏像の姿形や名前の意味など、仏像たちに関する様々なことが、ゆるりとしたイラスト入りで易しく優しく書かれている。
「仏像のことを、もう少し分かるようになりたいんだけど、小難しい学術書みたいのはちょっと敷居が高いわぁ・・・coldsweats01」というレベルの人(まさにアタシだ)に最適だろう。

「さぁ、勉強するぞ!」と気合い入れる必要はない。
「ぱらぱらと適当にページを繰りながら、気になったところに目を通す」というお手軽な読み方ができるのがいい。

そんな読み方でも、何気なく眺めていた仏像に込められていた意味が、少しずつ分かって来た。

「御名前は存じ上げておりますが・・・coldsweats01???」状態だった御方たちが、どういう立場におられる方々なのかなんとなく掴めて来た。

この本を読んでもっと勉強したくなったら、更に詳しく解説されている本を読んでみればいい。
 
折しも、東京国立博物館では、仏像界のスーパーアイドル興福寺の阿修羅像が公開中だ。
アタシも行きたかったんだけど・・・
入場待ち30分から1時間
中に入っても黒山の人だかりで、ゆっくり拝める状況ではない
と聞いて、二の足を踏んでいる。

狙いめは、夕方らしい・・・

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2009.01.18

おめでとうございます。

先日、第140回芥川賞と直木賞の発表があった。
まぁ、詳細は他のところでいくらでも書いてるから省略してもいいか。

直木賞は2作品で、そのうちの1作品が天童荒太氏の「悼む人」

天童荒太さんは、いつか、そのうち直木賞を取るんだろうなぁ・・・と、思っていたから、なんだか「そうか、やっと取ったか」という気がした。

この人の作品は面白いんだけど、重くてな。

前に「あふれた愛」っていう短編集を読んで、どーんと落ち込んで3日くらい立ち直れなかったことがあったっけ。

「家族狩り」なんかは、テーマは重くてもミステリー物としても楽しめるからまだ良かったんだけど。

受賞作の「悼む人」も、なかなかヘヴィな内容のようで。

これを機に、積みっぱなしになっている「永遠の仔」でも読んでみるか。
(ゲームだけでなく、本も積んでる・・・)

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2008.12.19

落涙注意

書店でたまたま手に取った本。

 「捨て犬のココロ」

ごくありふれた子犬の写真集だと思った。

ページを繰るうちに、そうではないことに気づいた。

それでも、そのまま最後のページまで見てしまったアタシは、書店の片隅で必死で涙をこらえていた。

少しでも多くの人に、この本を手に取ってもらいたい。

人間の身勝手故に消されてしまう、彼らの鼓動を感じてほしいと思う。

涙もろい人や動物好きが立ち読みするなら、それなりの覚悟の上で。

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2008.12.11

素材集

本屋さんをウロウロしていて、たまたま見つけて衝動買いしてしまった・・・

イラストレーターやフォトショップなどで簡単に加工できる、レース模様のフリー素材集です。
シンプルなものからゴージャスなものまで、緻密で繊細なパターンがぎっしり。
ただし、帯に書いてある「2940点」っていうのは、ちょっと・・・
色違いとかファイル形式違いとかを全部カウントしてその数なので、実際のパターンはもっと少ないです。

でも、こういう素材集って収録点数が多くても使いそうも無いのが大多数だったりするのですが、これは実際に使えそうなのばかりで大満足です。

素材集を買うと、ブログの模様替えをしたくなります。
(今のデザインにしてから、だいぶ経つもんなぁ・・・)
制作意欲を盛り上げるためにも購入したんだけど、こういうのを眺めているだけでもシアワセな気分になるんですよね。
(って、そこで満足してはイカンのだ)
 
 
こっちは、だいぶ前に購入したもの。
加工がしやすいし、やっぱり「使える」柄が多くて気に入っているので、ご紹介しておきます。

和柄の素材集ってけっこう出てますが、なかなか使えそうなのが無くって・・・
いろいろ見比べて、やっと決めたのがこれでした。

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2008.09.01

「グラスホッパー」 伊坂幸太郎 著

ハードボイルドファンタジー?
そんなジャンルは恐らく公式には存在しないだろうが、この小説はそうとでも言うしか無いような気がする。

なんたって、殺し屋がゴロゴロと出てくる。
人もバンバン死ぬ。
怪しげな連中がうごめく、いわゆる「裏社会」のオハナシだ。
インファナルアフェアだ、アンタッチャブルだ、ゴッドファーザだ。いや、そこまでは行かないか。

そのくせ、バラバラだった物語がくっつくように登場人物たちを導く「つなぎ」は、誰かの妄想だったりする。
ハードボイルド小説愛好家に怒られそうな非現実的な展開を見せる。
でも、それが「普通」なのが伊坂幸太郎ワールドなのよね。

この作品は(伊坂作品にはよくあることなのだが)多視点・一人称で、ほぼ同時進行で異なる人物のエピソードが綴られていく。

今回の主人公は3人。

1人めは鈴木。

妻を殺した犯人への復讐を企んでいる男。
遊び半分に人を轢き殺しておきながら、法の裁きを受けることも無く、犯人はのうのうと生きていた。
そのため、その男の父親が経営する会社(とは名ばかりの犯罪組織)に潜入し、その機会をうかがっている。

2人めは鯨。

巨漢ゆえに「鯨」と呼ばれるこの男の職業は、殺し屋。
自らは直接手を下さずにターゲットを自殺させるという、一風変わった手口を用いる。
ある種の「暗示」能力を備えていると言うべきなのだろうが・・・
「側に居られるだけで気が滅入って死にたくなるような男」というのも、広い世の中に1人ぐらいは存在するかもしれない。
鯨は、これまでに自殺させて来た人たちの亡霊に悩まされている。

3人めは蝉。

「ナイフ使い」という、きわめてオーソドックスな手法を得意とする、これまた殺し屋。
鯨などに比べれば、かなりリスクの高い方法を用いながら平然と数々の仕事をやってのけているところを見ると、腕は良いのだろう。堂々と自慢できる類いの能力ではないが。
彼は自分の上司にあたる人物に対して強い不満を抱いている。
 
 
そして、この3人の中心に居るのが「押し屋」
「押し屋」は道路や駅のホームで、人ごみにまぎれて、そっとターゲットの背中を押す。
要するに、これもまた殺し屋だ。
 
 
ある日、鈴木が復讐しようと狙っていた男が、「押し屋」とおぼしき者の手にかかって轢死する。
それをきっかけに、鈴木、鯨、蝉の3人が、それぞれの理由で「押し屋」を追い始める。

三者三様の焦燥や葛藤が原動力となり、最初は緩やかに、次第に速度を速めながら、終盤は急速に「押し屋」へと向かって3人が集結して行く。
実は、読み始めた時は遅々としてページが進まず、あやうく途中で放り出しそうになったのだが、物語の展開が勢いを増すに従い、私の読むペースも俄然スピードアップした。
 
 
ちなみに、「グラスホッパー」とは、イナゴとかバッタとかキリギリスとか・・・要するに、バッタ的な昆虫の総称だ。
バッタは、物語の中で重要なキーになっている。

バッタの「群集相(同じ種族が密集している場所では、凶暴で特異な能力を持ったバッタが生まれてくる)」と人間の姿を重ね合わせ、都会で暮らす人間は凶暴な「群集相」で溢れかえっていて、都会は穏やかに生きて行くのは難しい場所である・・・
「押し屋」(と目されている男)が、そう、鈴木に語って聞かせる。

それで、「押し屋」は凶暴な人間を殺すことで、穏やかに暮らせる世の中にしたいのではないか、と鈴木は考え、この男が「押し屋」であると確信するに至るのだ。

「押し屋」がそんな話を持ち出すきっかけを作ったのは、昆虫カード集めに熱中する少年だった。
あまりに唐突なたとえ話を唐突でなくすために、昆虫カードは一役買ったことになる。
昆虫カードは、他にも意外な所で役に立ったりする。
単なる小道具ではないのだ。
ちゃんと、意味がある。よく出来ている。
 
 
語り手3人ともを「殺し屋」にしなかったところが、良いと思う。
一番危なっかしい、そして唯一「殺し屋」を職業としていない鈴木が、誰よりも先に「押し屋」の元に辿り着く。
鈴木の目を通して描かれる「押し屋」(と目されている男)は、実に魅力的だ。

もの静かで理知的。
実に家庭的な良き父親である。

もしも彼が、いかにも殺し屋然としたキャラだったら、鈴木は自分の身を守るために即座に組織の連中に売り渡していたかもしれない。
いや、でも、きっと、優秀な殺し屋ほど、何気ない顔をしてすぐ隣に居たりするのだ。
「いかにも」な人物が目の前に現れたら、誰だって警戒する。仕事は上手く行かないに決まってる。そうに違いない。
 
 
さて、嵐のような事件が終息し、鈴木は新しい一歩を踏み出そうとする。
最後のシーンは、駅のホーム。
駅のホームは「押し屋」の仕事場ではないか。

一抹の不安を感じたのは、私だけだろうか?

社会の裏側を覗き込んでしまった鈴木は、こちら側に帰って来られたのだろうか。
向こう側で出会った中には、なかなか魅力的な人たちも居ただけに、ちょっと心配だ。
 
 
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2008.04.22

「死神の精度」 伊坂幸太郎 著

そうですよ、また伊坂幸太郎ですよ。
この「死神の精度」は映画化されて今まさに公開中だし、つい最近、「ゴールデンスランバー」が本屋大賞に選ばれたばかり。
今、伊坂を読まずしてどうするって感じ?
 
 
「死神の精度」の主人公(というのは微妙に違う気もするが)は、死神。
おとぎ話に出て来るような、黒いローブを身にまとい、手には大鎌を・・・という、あれとはぜんぜん違う。
我々と何ら変わらぬ姿で現れ、地名にちなんだ苗字を名乗る。
死神ゆえに我々とは感覚がズレていて、時に、トンチンカンなことを口走ったりする。
大の音楽(死神的に言うとミュージック)好きで、ミュージックを聞きたいがために、面倒くさいと思いつつも人間界にやってきて、適当に仕事をこなしている。
この物語の主人公、死神・千葉に限っては、彼が仕事をしに来ている時は、いつも決まって雨降りで、千葉は晴天を見たことが無いという。

彼ら死神(死神は何人もいる)の仕事は「人の生死を判定すること」
・・・なんて言うと聞こえがいい(?)けれど、「情報部」と言われる「部署」から指示を受け、一週間後に事故や事件で死ぬ予定の人間を1人、担当させられるに過ぎないのである。
死ぬ予定の人間が、どういう基準で選ばれているかは、(部署が違うので)死神も知らないし、知ろうとする気も無いらしい。

そうして、死神は自分の担当することとなった人間と接触したり様子を観察したりして、「死」を実行するかどうかを判断する。
死神が報告書に「可」と記入して提出すればその人間は予定通りに一週間後に死に、「見送り」とすれば少なくとも一週間後には死なない。

人間にとってはとてつもなく重大な判定を担っているのだけれど、死神にとっては単なる「仕事」。
職務怠慢・・・なのではなく、(仕事なので)極めて事務的に日常業務をこなしているというスタンスなのである。

死神は総じてミュージックが好きなようで、ミュージックに夢中になるあまり、肝心の仕事の方がおざなりになって、ロクに考えもせずに「可」の報告をしてしまう死神も居るらしい。

そこへいくと、この物語に登場する死神・千葉は比較的良心的で、自分の担当する人間と1週間つきあってくれる。
(その千葉も、スキあらばミュージックを聴きに走ろうとするが)
 
 
「死神の精度」では、その死神・千葉が担当する6人の人物の最後の一週間が綴られて行く。

電機メーカーの苦情処理係に勤める電話オペレーターのエピソードから始まり、雪に閉ざされた山荘で起こる連続殺人事件やら、切なく淡いラブストーリーやらを挟んで、海を見下ろす高台で美容室を営む老女の物語へと集約して行く。

千葉の担当する人間は実に様々。
冴えないOLだったり、ナイーブな恋する青年だったり、幼少時のトラウマを抱えたキレやすい男だったり。
抱えている事情も置かれている環境もそれぞれに異なり、1つ1つのエピソードに謎がありサスペンスがありロマンがある。

そんな、てんでバラバラで雑多なエピソード群は、死神・千葉の目を通して描かれることで、独特のそして統一した色を帯びる。

なにしろ、相手は死神。
我々とは感覚が違う。
彼の目を通して見る人間の「死」は、それ以上でも以下でもない。
彼の担当する人間達の抱えて来た「人生」に対しても、死神・千葉は何の感慨も持たない。何のコメントも無い。
でも、読んでいるこちらは人間なので、千葉の担当する人間達に何らかの感慨を抱く。
言及されない、向こう側にある想いを、感じ取ることができる。

それを理解できずに首を傾げる死神との感覚のズレ。

その「ズレ」こそが、この「死神の精度」という物語の核だと思う。
「死」を扱いながらも、どことなくユーモラスで清々しささえ感じてしまうのは、その「ズレ」が在るからだ。
 
「死神の精度」は6編からなる短編集の体裁をとってはいるものの、そこは、伊坂幸太郎。この人お得意の仕掛けが仕込まれていて、単なる短編集では終わっていない。
巧いなぁ・・・
読み終えて、思わずそうつぶやいてしまった。
「仕掛け」自体はべつに目新しくもなんともないんだけども、この人がやると嫌らしくもなくワザとらしくもない。
「あぁ、そういうことだったのねぇ」と、すんなり素直に受け入れることが出来る。
月並みな表現で言っちゃうと、「センスが良い」ってことなんだと思う。

床屋の主人のセリフで幕を開けた物語が、美容師の老女のセリフで幕を下ろすのも、憎い演出。
千葉が「雨男」なのも、単なる「キャラ設定」ではない。

そうそう、「旅路を死神」で、千葉たちが奥入瀬に向かう途中で出会う「塀に落書きをしている青年」は「重力ピエロ」の春だよね。
いかにも、春が言いそうなこと、喋っているもの。
他の作品と「繋がってる」のも、伊坂幸太郎の小説では、よくあること。
その「繋がり」を見つけてニンマリするのも、ファンの楽しみの1つであるのだ。
 
 
映画化するにあたって選ばれた3編から察すると、映画は原作とは多少違った内容に仕上がっていると思われる。
それが、どう、作品に影響するのかは見てみないと何とも言えないが、死神・千葉を演じるのが金城武ってのは、悪くない。
クールで我々人間とは感覚がズレてて、どことなくお茶目に見える千葉(でもって、概ねイイ男の姿で現れる)に、これほどふさわしい人選があるだろうか。
映画館まで足を運ぶ気にはならないけど、そのうち機会があったら見てみたいと思う。

映画・・・といえば、「重力ピエロ」も映画化されるんだよね。
伊坂幸太郎の本はたくさん読んで来たけど、何を隠そう、一番最初に読んだこの「重力ピエロ」が、アタシは一番好きだから、映画化についてはとっても微妙なんだけれども・・・
息子2人の配役はともかく、お父さんは小日向文世さんなのだ。
小日向さんが、あのお父さんの最後のセリフを言うシーンだけは見てみたいなぁ。

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