「あしたの、喜多善男」 最終話
アタシがこのドラマを気に入っていた理由はいくつかある。
中でも大きかったのは、「死」なんて重たいテーマを扱いながら、説教臭くなっていなかったことだ。
もっともらしく「命の大切さ」なんてセリフを吐く人間は出てこない。
そんなことは言われなくても分かってる。
そんなセリフを軽々しく、さも分かったような顔をして口にする人間がアタシは大嫌いだ。
「生きていれば良いことあるから」なんて嘘くさいことを言ったりもしない。
一応、数名、言ってるんだけれど、このドラマの中ではそのセリフは軽く一蹴されていて、喜多さんの自殺を阻止するには至らない。
「良いこと」なんてのは、人生にくっ付いているちょっとしたオマケみたいなものだ。
「良いこと」なんてなんにも無くても、生きて行くのが人生。
時には大当たりを引き当てることがあるかもしれないし、一生スカばっかりかもしれない。
でもね・・・
スカばっかりだと思っていたものの中に、宝物が隠れていることだってある。
それを見つけ出すのは、自分自身。
目をそらし、逃げてばかりいては、何も見つからない。
「あしたの、喜多善男」は、不条理やら人間の醜い面やらを見せつけながら、それでも、最後には「まだ、人生捨てたもんじゃない」と思わせてくれた。
アタシは、1時間、泣きっぱなしだった。
森脇のしでかした保険金詐欺事件については、この際、どうでも良い。
杉本を登場させるにはどうしても必要な事件だったのだけれど、正直、この件で引っ張りすぎだったと思う。
杉本は、この物語の全体像を見渡せるポジションに居た。
いわば「探偵役」の彼が動いてくれることで、見ている我々も複雑に絡み合う人間関係をしっかりと把握できたのだ。
彼は物語の道案内をするだけでなく、みずほの無実を証明し、リカの借金問題を解決する上でも一役買っている。
なかなかどうして、重要な役回りだったのである。
リカは保険金詐欺の疑いが晴れ、釈放される。
喜多さんの母親名義の口座をリカが作ったのは、喜多さんに頼まれたからで、通帳を取り立て屋に渡したのは脅されたから・・・
そう刑事に言われ、リカは否定しなかった。
本当は騙すつもりで口座を作り、通帳を見せれば取り立て屋たちが勝手に喜多さんを殺すと見越していたからにもかかわらず。
そういう狡い自分を許せないリカは、「平ちゃんは善い人だから」と言い残して去って行く。
みずほが喜多さんを拒絶したのと同じ理由だろう。
目の前に居る人が善人であればあるほど、自分の醜さを思い知らされ、いたたまれなくなる。
そんなリカも、いつかは自分を許せる時が来るだろう。
自分を赦し、他人を赦し・・・
そうしなければ、人は前に進めない。
みずほもまた、現実と向き合った。
喜多さんへの罪の意識から心を閉ざしていたみずほは、罪を犯した自分を受け入れることで、本来の自分の姿を取り戻した。
そうして、喜多さんを「死」から「生」へと引き戻すための糸口を見つけ出す。
喜多さんを「生」へと導く流れが出来つつある中、当の本人は着実に死に向かって歩いていた。
喜多さんが死に場所に選んだのは、みずほが大好きだったアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」にそっくりな場所。
寒々しい草原。崖っぷちに立つ小さな家。
ゆっくりとその建物に近づいていく喜多さん。
決してこちらを振り向かない「クリスティーナ」と、みずほの姿が重なる。
バックに流れるのは「Alone Again」
これだけ有名な曲、メロディは耳にしたことはあったけれど、こんな内容の詩だったとは気づかなかった。
歌のとおりに、高い塔によじ上り、身を投げようとする喜多さん。
しかし、途中で喜多さんはコケてしまう。
薄れかけていた手のひらの傷から、また血がにじみだす。
痛みを感じた喜多さんは「美しい死なんて無い」と語るのだが、この瞬間、アタシは喜多さんは死なないと確信した。
このへんの小道具というか、伏線というか・・・このドラマは、細かな道具立てが本当に上手い。
この手のひらの傷は、薄れて行くことで喜多さんの死が近づくことを表していたのだ。
それが、再び濃くなった。
死ぬ日が遠ざかったということだ。
映画のリハーサルでしのぶが朗読させられる台本だか参考資料にしても、まさにあの場にぴったりの内容で、しのぶの涙を引き出し、今まさに死のうとする喜多さんの場面へと繋がる。
しのぶとみずほの力を借りた平太は、喜多さんの元に辿り着いた。
「運命だと思った」
平太はそう語る。
この2人の出会いは、まさに運命だったのだろう。
喜多さんにとっても、平太にとっても。
平太と出会っていなければ、喜多さんは死んでいたかもしれない。
そして、平太は喜多さんと出会わなければ、父親の死と向き合うことも無かっただろう。
オレが親父を嫌いだったのは、弱かったからじゃない。
死んじまったからだ。
生きていてほしかった。
人が誰かに生きていてほしいと願うには、大した理由も説明も要らない。
しのぶの涙や、必死で喜多さんにしがみつく平太を見ていて、そう思った。
そして、人が生きて行く理由も、大げさなものは要らない。
逆説的に、死を選ぶ理由も大したものは必要ないってことになりそうだが、たぶん、そうなんだろう。
(たとえそれでも、アタシは自殺を肯定しない。人に苦しみを押し付けてとんずらするような人間に、アタシはなりたくないんだ)
喜多さんを死から引き戻したのは、カレーだった。
死ぬの死なせないのと大騒ぎしている真っ最中に、喜多さんのお腹がグゥと鳴る。
何たる偶然。
思わず笑ってしまう喜多さん。
生きていれば腹が減る。
腹が減れば食いたくなる。
食うことは、生きることに直結している。
喜多さんは、死ぬのを止めた。
喜多さんが生きていると言う連絡を受けたキャバ嬢たちが、きゃっきゃっと喜んでいる。
ほら、ここにも小さな宝物はある。
喜多さんの選択が、彼にとって救いとなったのかどうかは分からない。
あの人のことだから、この先も騙されたり裏切られたりするんだろう。
それでも、愛すべき喜多善男は、前を向いて歩き出した。
今までの喜多さんとは、ほんの少し、何かが変わったかもしれない。
最後の最後に、幸せそうにカレーを食べる喜多さんの姿が現れた。
「美味しいカレーを食べる」
そんなささやかなヨロコビの為に生き延びる。
それも、悪くない。
喜多さんの、あしたは・・・

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